2011年7月1日金曜日

老司校区を知ろう 1



老司校区には福岡市でも自慢できる国指定史跡「老司古墳」と「老司瓦窯跡」があります。ほかにも歴史的な建造物や古くから伝わる祭り等がたくさん残っています。
これから「老司校区を知ろう」というタイトルでご紹介いたします。
老司校区がどんな町か、少しでもお役に立てれば幸いです。




第1回 老司の地名

<粮司>・・・6世紀の初め、大和朝廷の成立とともに太宰府の前身である「筑紫の宮家」が設定された頃、粮米を司った役人がいた所であろうという言い伝えがある。

<老子>・・・南北朝期から室町期に見える村名。筑前国那珂郡廊子村とも書く。太宰府天満宮安楽寺領(荘園)。
1336年(建武3年)6月30日、仁木義永は深江六郎太郎に対し、勲功の賞として筑前国老子村地頭職を与えた[深江文書]

1352年(観応3年)安楽寺領注進目録(太宰府天満宮文書)には、老子村佐志将監が押領し社家がこれを訴えていると記されている。また、1443年(嘉吉3年)少弐教頼は庄崎彦三郎に対して廊子村は,南北朝期以降武士の押領を受けて退転している事が分かる。天正年間には老司村とあります。
明治初期の老司村は戸数51戸、人口238人(男性137人・女性101人)

1889年(明治22年)4月1日市町村制執行で老司村、野多目村、和田村、三宅村、塩原村、清水村が合併し筑紫郡三宅村となる。

1933年(昭和8年)筑紫郡三宅村と福岡市が合併。

1972年(昭和47年)福岡市が政令指定都市になり福岡市南区老司となる。

<老司公民館だより 2011年7月号>