那珂川の中流域に設けられた老司井堰(1600年初頭の築堤)の左岸にある石井樋は、老司川の取水施設で現在も水量調整用として機能しています。2006年7月内部調査し築造年の確認をしましたが石組みの記号と番号のみでした。
老司川(用水路として作られており、大溝とも呼ぶ)については老司井堰と共に石井樋も整備されたものと考えられます。この川の名前は老司方面では老司川、三宅方面ではイゲタ川など、向野、塩原、清水では大溝と呼んでいました。野多目の一部と向曰佐(現向新町)と大字三宅、塩原(含む向野)清水までの旧三宅村の220町歩の水田を潤し、更に大橋井立堰より、薬院溝で野間、高宮、平尾、下警固、薬院までその恩恵を受けていました。
老司と佐賀市の石井樋の構造は共通する技術が伺えます。福岡城には肥前掘があり肥前の関係者(石工等)が筑前・肥前街道(神埼街道)の那珂川町・老司を通って行き来していた事実もあり、何らかの関係性はあると考えられます。
<老司公民館だより 2012年9月号>