2014年1月29日水曜日

老司校区を知ろう 14

第14回 警固(現 警弥郷)橋

 那珂川に架けられた最初の橋は、黒田のご城下と日本一の商都博多を繋ぐ中島橋と言われています。江戸時代に作られた筑前国図には那珂川にはこの橋のほかに警固橋(老司-上警固間:現警弥郷橋)と橋本橋(別所-山田間)が有ったと記されています。明治34年大日本帝国陸軍測量地図によるとその後春吉、住吉、簑島、塩原、井尻橋が架かりました。

 大正11年に大野(現大野城)~深江(現糸島市二丈)線の県道(現49号線)が出来て、木橋だった警固橋がコンクリートで架橋されました。
 昭和20年代には老司の子ども達は、橋の欄干から飛び込んで楽しんだり、川を挟んで合戦ごっこしたり昭和の良き時代でした。

 幾多の洪水で流失しては架橋され、現在の橋は平成13年に架け替えられました。(南区ふるさと一部参照)



「警弥郷」・・・上警固、弥永、東郷の三町名の一字をとって大字名となりました。

<老司公民館だより 2012年10月号>