伊能忠敬測量日記と唐戸の町並み
昭和初期の神埼街道筋(唐戸:老司川沿い)の町並みには、地方裁判所・郵便局・銀行(2行) ・医院・精米所、米屋(4店)・食堂(2店)・酒造所・理髪店(2店)・髪結い・鍛冶屋・染物屋(2店)・材木店・呉服店・自転車店・畳店・石屋・菓子店(2店)・桶屋等各店が道の両側に店を構えて大賑わいし、大橋より発展していました。
また、筑紫乗合自動車のエンジン付(燃料木炭)バスが住吉神社から那珂川町の山田まで走っていました。
≪伊能忠敬測量日記≫より
文化十年十月朔日
老司村枝唐戸、野多目村・三宅村枝堂ノ原、左二丁ばかり若宮八幡宮、枝矢の台、右雑掌隈道、左三丁ばかり古城跡古野城と云、的野主税入道了心居城と〔云〕塩原村枝潮煮塚、枝小森、野間村・高宮村・平尾村・枝一本松・薬院村枝出口、昼休庄屋治右衛門、上人橋幅六間、福岡市中紺屋町・薬院町、城の外堀佐嘉掘と云、薬院口・薬院門・万町、申八月七日残す○ヨ印に繋ぎ終る、街道二里一十七丁○四間五尺、それより九ツ時前博田呉服町着、町奉行下役進藤善蔵・岩崎壮平・町行司広瀬平左衛門・熊江市郎治・伊藤千左衛門出る、福岡年行司も出る。
この夜宵大に曇また雨、五ツ時後より晴、当初より六ツ時前、福岡城下へ行きて星測、四ツ時後帰宿
<老司公民館だより 2013年1月号>