~老司古墳・1~
老司古墳(4世紀末~5世紀初め頃)は福岡市南区老司4丁目20番にあります。那珂川の左岸の丘陵上にあり標高は一番高い所で45mくらいです。丘陵からは福岡平野の南側が見渡せます。この辺りは弥生時代には奴国と呼ばれた地方であり古代史上重要な地域です。
老司古墳は南に前方部を向けた前方後円墳で、前方部2段、後円部3段築成となる全長75mの大型クラスに属します。つぎに石室は後円部に3基(1・2・3号)前方部に1基(4号)が構築されています。老司古墳が全国的に有名になったのはこの石室構造の特異性にありました。竪穴式石室の構築法を基本とするもので特長はいずれも石室の一方の小口が横口閉塞の構造をとる点と、外方に通じる墓道が設けられている点と合わせて、導入期の横口式石室の様相として注目され、竪穴系横口式石室の名称とともに、この種の石室の最古段階に位置づけられたのです。
(福岡市教育委員会発行「福岡市埋蔵文化財調査報告書第209集 老司古墳」より)
この報告書の序文には、「老司古墳が国の史跡に指定され
て完全に保存されるとともに、史跡公園として整備された上、学界ならびに市民社会の間で、広くその価値が享受される日が遠からんことを切に願うところである。」(1989年3月31日 九州大学名誉教授 岡崎 敬氏) また、「老司古墳につきましてはこれから史跡指定し、環境整備を 進めていこうと考えています。」(平成元年3月31日 福岡市教育委員会教育長 佐藤 善郎氏)とあり、この文面から、当時古墳発掘にかかわりを持たれた方々の老司古墳に対する強い思いが伝わってきます。すでに2000年に国史跡に指定されております。校区の方々に課せられた歴史公園化の促進を突き付けられているような気がします。みんなで歴史公園化を強力に推進してまいりましょう。
<老司公民館だより 2012年4月号>